投稿日: 2024年10月26日
最終更新日: 2024年10月27日
初めに
大いなる力には大いなる責任が伴う (With great power comes great responsibility) という言葉はエンジニアの世界においても有名ですが、この文における「力」と「責任」は相反するでしょうか?私は相反することもあれば、そうでないこともあると考えます。この考えを説明するために、力を「自由」と置き換えることで、より日常的な文脈でその意味を理解します。
自由と責任は同じ特徴を持つ
自由とは何でしょうか?一般的な意味を以下に示します。
- 自分の意志で選択したり決定したりできること
- 外部からの制約がなく、自分の考えを持てること
- 自己表現の可能性を追求できること
- 行動の選択肢があること
- 社会的な制約の中でも、合理的な範囲で動ける余地があること
- 他者との関係の中で、自己表現ができること
私は、自由とは、制約からどのくらい解放されているかを表す概念だと思います。この主張を説明するために、いくつか例を挙げます。
1つ目は経済的自由です。所得が低ければ、食費や家賃の支払いに追われ、行動の選択肢が限られます。しかし、所得が高ければ、生活費の支払いで悩むことはなく、さらに投資や起業などの経済活動を選択できます。
2つ目は時間的自由です。新入社員は勤務時間が固定される傾向があり、上司の指示に従う必要があります。しかし、経営者であれば自分で時間配分を決定できます。
3つ目は移動の自由です。自転車を使う場合は、短い距離しか移動できないため近くの目的地にしか行けませんが、自動車を使う場合は、より長い距離を移動でき、遠くの目的地に向かうことができます。
一方で、責任とは何でしょうか?こちらも同様に一般的な意味を以下に示します。
- 他者からの呼びかけに適切に応答する能力
- 自動の行動が及ぼす影響を認識し、それに対処する義務
- 選択の結果を引き受ける覚悟
- 社会的な規範や倫理に従って行動する義務
- 他者への配慮や思いやりを持つこと
- より良い社会づくりへの参画意識
私は、責任とは、他者からの期待が社会的にどれくらい影響力を持つかを表す概念だと思います。この主張を説明するために、いくつか例を挙げます。
1つ目は教育現場での責任です。実習生は授業の補助を期待されており、彼が不適切な対応をしてしまったとしても担任の先生がその問題に対処できます。しかし、校長は学校全体を運営することを期待されており、彼の判断ミスは教職員や全校生徒に波及します。
2つ目は飲食店での責任です。アルバイトは接客と調理補助を期待されており、彼のミスは他のスタッフがフォローできます。しかし、オーナーは事業を継続することを期待されており、彼の経営判断ミスは従業員全員の雇用に関わります。
3つ目は製造業での責任です。製造ラインの作業員は決められた製造工程に従って製品を生産することを期待されており、不良品は検品で発見できます。しかし、工場長は製造工程全体の監督を期待されており、彼の判断ミスは製品の大規模なリコールの原因になります。
これらのことから、自由とは、制約からどのくらい解放されているかを表す概念であり、責任とは、他者からの期待が社会的にどのくらい影響力を持つかを表す概念であると考えられます。では、自由と責任の定義を整理できたので、続いて両者の特徴を考察します。
自由と責任は、定義が明確に異なりますが、行動を起こす動機は似ています。自由や責任に基づいた行動は、何らかの欲求によって行われます。
自由であれば、内側からの欲求によって行動が生まれます。例えば、自己実現の欲求や創造性を発揮したい欲求です。
一方で、責任があれば、外側からの欲求によって行動が生まれます。例えば、社会的義務を果たしたい欲求や自分の価値を証明したい欲求です。
「それに基づいた行動は、何らかの欲求によって行われる」という、自由と責任に共通する特徴から、自由と責任は似ているということが分かります。ところで、私たちは、「自由を得るためには責任を果たさなければならない」と考えます。この決まり文句は、「責任を果たすことで他者から信頼され、自由が得られる」という事実に基づいたものです。逆に言えば、「責任を果たさなければ自由は得られない」ということです。このように、責任と自由はしばしば対比されます。この対比は、自由と責任の間には、「自由は『与えられる』ものであり、責任は『果たすべき』ものであるという非対称な関係がある」と人々が思っていることを示唆します。
例えば、職場においては、基本的な業務の責任を果たすことでより創造的な仕事をする自由を得られますし、確かにこの解釈は正しいように思えます。しかし、先述したように自由と責任が似た概念であるならば、両者を両立させることはできないのでしょうか?
責任を伴うが、自由である
自由や責任に基づいた行動が、何らかの欲求によって行われるならば、その欲求を近づければ自由と責任を両立できます。つまり、「責任を果たさなければ自由を得られない」という状態を、「責任を伴うが、自由である」状態に変化させることができます。
では、自由や責任の欲求を近づけるには、自分のやりたいことができる環境を手に入れる必要があるのでしょうか?私は、必ずしもそうする必要はないと考えています。もちろん自分のやりたいことができる環境が手に入れば最高ですが、そう簡単なことではありません。例えば、自分の好きな分野で活躍でき、裁量が大きく、給与も高い仕事はほとんど存在しません。しかし、考え方を変えることで、制約がある環境でも自由を追求できます。
「責任を伴うが、自由である」状態にするためには、制約の中で「できない理由」を探すのではなく、「できる方法」を探すことが重要です。例えば、「フォーマットやマニュアルがあるのでそれに従わなければならない」と考えるのではなく、作業手順を効率化する方法を考えることで、より創造的な解決策が生まれます。
綺麗事で終わらせない
しかし、「『できない理由』を探すのではなく、『できる方法』を探せ」という言葉ほど、綺麗事に感じるものはありません。このときに重要なのは、どうして綺麗事であると感じるのかを考え、その綺麗事の問題点を1つずつ解消することです。私が、この言葉は綺麗事であると感じる理由は、この言葉は以下の要素を考慮していないからです。
- 精神的な負担
- 失敗や挫折に対する不安
- ストレスの蓄積
- 物理的な制約
- 時間的な余裕
- 体力の限界
- 個人の能力の限界
- 自分の専門分野の知識はあるが、それ以外の知識がない
- モチベーションの変化
- 常に前向きでいられる訳では無い
- 疲れ切っている時もある
では、これらの問題に対処する方法を考えましょう。
まず、「精神的な負担、物理的な制約、モチベーションの変化は誰にでも起きうることである」という事実を受け入れることから始めます。ストレスが溜まっていたり、体力が足りないのであれば、しばらく休息を取るのもいいでしょう。業務が忙しくなり、バーンアウトしているのであれば、気分転換に運動をしたり、趣味の時間を作ったりすることも大切です。
次に、自分の能力に限界があることを感じているのであれば、「全てを1人で解決しなければ」という思い込みを手放すことから始めます。自分が得意なことや不得意なことを冷静に見極め、完璧を求めすぎないようにします。必要に応じて、チームの知恵を活用することもできます。周囲の経験者に相談し、技術的なアドバイスを求めたり、役割分担を見直し、自分の得意分野で組織に貢献したりすることで、より効果的に問題解決ができます。