投稿日: 2024年10月23日
最終更新日: 2024年10月26日
初めに
知識社会への移行により、自分が考えていることを観察して効果的な方法を見つけたり、長期的な視点で物事を考えたりする、高度な思考力が求められる時代になりました。このような思考力を鍛えるために、長年に渡って様々な方法が導入されてきました。
例えば、伝統的なアプローチとしては、座学中心の知識習得や、経験則による育成があります。しかし、座学が中心になると学習姿勢が受動的になることで深い理解が得られず、実践との乖離が生じます。また、経験則に基づいて人を育成すると、指導者の経験に偏りがあることで、学習者にとっては体系的な知識の習得が難しくなります。
このような課題を基に、現在、多くの企業が重視しているのが「メタ認知」です。メタ認知とは、自分の思考について考えることです。例えば、自分の思考を観察することで自分の理解度を把握したり、自分の思考を制御することで、客観的な視点で問題を解決する方法を考えられます。
では、メタ認知による自己分析は正しいのでしょうか?私は、メタ認知は魔法ではないと考えます。現在行われているメタ認知的活動をあえて批判し、新しい視点でメタ認知について考えます。
現在行われているメタ認知的活動の問題点
一例として、ビジネスでのメタ認知的活動に焦点を当てます。
振り返りの形骸化
メタ認知に基づいて業務の振り返りをしたとしても、なぜ〇〇なのか?という問いを繰り返すことで思考を観察する流れがパターン化します。なぜなぜ分析のように、決まった視点からしか考察しないことで新しい気付きが少なくなります。
印象が強い出来事を選びがち
忙しい業務の中で自己分析をしようとすると、自己分析をするための時間が短くなることで、私たちは印象が強い出来事を選んで自分の思考を整理しようとします。しかし、印象が強い出来事に執着すると、それ以外の出来事を見逃すことで全体像の把握が難しくなり、本質的な改善ができなくなります。
深い思考を伴う分析が難しい
表面的な自己分析をしただけであっても、周囲の人間から評価されることがあります。例えば、多くのことを語れる人はそれだけ自己分析の量も多くなり、周囲の人間は「あの人は真面目に自己分析に取り組んでいる」と感じるでしょう。この評価が組織全体に普及すると、自己分析が言語化のレベルで止まってしまい、より深い思考を伴う分析が難しくなります。
例えば、「ミーティングであまり話せなかったからたくさん話そう」という分析は一見すると正しいように思えますが、もし自分が「聞き上手」であり、話をまとめるのが得意であったらどうでしょうか?また、他の例としては「この取り組みでは〇〇という課題があり、あの取り組みでは〇〇という課題があり…」といったように、場面ごとに自己分析をして文字数を稼ぐ方法もあります。しかし、これでは具体的な事象に対する振り返りになってしまい、抽象的な事象に対する自分の思考を観察できません。そのため、異なる場面での共通課題が見えなくなり、根本的な改善点を特定できなくなります。
メタ認知的活動を再考する
先述した問題点は、質よりも形式が優先されるという点で共通しています。
シートの項目が埋まるように自己分析をしたか?
その場面は自己分析をする際に扱いやすいかどうか?
自己分析をした際の情報量が多いかどうか?
これらはいずれも本質的な改善において重要ではありません。メタ認知を活用した自己分析において重要なのは、自分の考えに対して多角的に問いかけ、多様な視点で分析することです。これらの考え方を取り入れた自己分析を習慣化する方法を考えます。
なぜ?以外の問いかけをする
「なぜ?」という問いかけを用いた自己分析だけでは不十分ならば、「その時にどのような選択肢を考えたか?」や「もし〇〇だったら何が変わったか?」というように、自分に対する問いの種類を増やすことができます。さらに、自己分析をした成果を効果的に活用するために、「新しく学んだことは何か?」、「自分の強みを活かせたか?」、「次回に活かせる点は何か?」を考えることでより深い自己分析をすることができます。
曜日ごとに異なる観点から分析する
以下のように、曜日ごとに観点を変えることで思考の偏りを避けながら効率的に自己分析ができます。
曜日 | 観点 | 目的 |
---|---|---|
月 | 行動面 | 判断基準の理解 |
火 | 感情面 | モチベーションの把握 |
水 | 他者の視点 | 影響力の確認 |
木 | 手順 | 効率性の発見 |
金 | 全体 | パターンの特定 |
このように、日々の異なる視点からの気付きを積み重ね、週末にパターンを見出すことでバランスの取れた成長につながります。