ニコマコス倫理学(上)

2025年6月30日

2025年6月30日

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概要

ニコマコス倫理学は、アリストテレスの倫理学講義に関する記録をまとめたものです。ニコマコス倫理学は全10巻で構成されており、前半では、アリストテレスが考える善と人柄の徳について、後半では、知的な徳と友愛について論じられます。このうち、ニコマコス倫理学(上)では、前半部分に当たる第1巻から第5巻までがまとめられています。

アリストテレスは、第1巻で善と幸福の探求について考察します。「すべての行為には目的、すなわち善があるため、私たちの行為の目的を辿っていくと、最終的な目的(最高善)が見つかるはずである」と彼は考えました。そして、その目的は「幸福」であると論じます。加えて、彼は、私たちが幸福になるためには、人間固有の機能を発揮することで得られる「徳」が必要であると示します。

第2巻では、徳の分類について整理します。徳には大きく分けて知的な徳と人柄の徳があること、人柄の徳は徳のある行動を繰り返すことで身につくこと、徳は過度と不足のちょうど中間の状態であることが述べられ、徳の概念が明確になります。

第3巻に入ると、彼は「同じ行為であっても、自発性によって徳の程度が変化するか?」という疑問を挙げ、具体的な場面を用いてその問いに答えます。さらに、代表的な人柄の徳として勇気と節制を挙げ、その対極となる概念を用いて徳の価値を確認します。

第4巻では、徳が人間の共同生活においてどのような実践的価値をもたらすのかを提示するために、第3巻で述べられた「個人的な人柄の徳」を発展させ、「社会的な人柄の徳」を考えます。財産についての気前の良さ、名誉についての崇高さ、他者に対しての温和さがあることなどが、社会的な人柄の徳であるとされます。

第5巻では、第4巻における社会的な人柄の徳の考察を踏まえて、正義という統合的な概念を考えます。まず、日常生活で用いられる「正義」という言葉には2つの意味があります。1つ目は各人の価値に比例して与えられる「分配的正義」であり、2つ目は当事者間の一方に損害が生じたときに与えられる「矯正的正義」です。アリストテレスは、この2つの正義は数学的な構造が異なるため、区別されなければならないと考えました。そして、正義は状況に応じて適切に使用される必要があり、そのような点で現代の倫理学と政治学が関連していることが示唆されます。

感想

アリストテレスはプラトンの弟子でした。プラトンといえば、イデア論によって相対主義を否定しようとした理想主義者です。それなのにどうしてアリストテレスはこれほどまでに現実主義的な理論を体系化できたのでしょうか?それは、アリストテレスが「倫理学」を「政治学」の基礎として位置付けていたからです。

古代ギリシャのポリスは民主国家でしたが、直接民主制によって政治家が選出されており、ポピュリズムが生まれやすい構造になっていました。また、ポリスの住民たちにとっては、国家間の対立による国際情勢の不安定化も心配事の1つでした。しかも、ポリスは小規模国家であるため、多くの政治家を選出することはできません。したがって、分別のある人々に倫理学を教え、優れた人格と明晰な判断力を持つ人々を育成する必要があったのです。 現代では、徳と言えば社会的な活動において個人が獲得し、所有するものという認識が一般的です。しかし、アリストテレスは徳を習得した人自身に国を収めてもらうという、今と比較するとかなり社会的な考え方を持っていました。

とはいえ、ニコマコス倫理学が長年多くの人々に読まれてきたのは、それ自体に教育的価値があるからでしょう。例えば、過度でもなく不足でもない、ちょうど適当な「中間」を見つけるために努力することは、人間の認知バイアスを理解するのに役立つと思います。アリストテレスの偉大なところは、徳かどうかは各人の自発性や状況によって決まると論じたにもかかわらず、「人それぞれである」とは結論付けていない点だと思います。本書を読みながら、中間を懸命に探る姿勢を感じ取ることができました。

ニコマコス倫理学(上)

自分のまっとうな努力で得た徳(アレテー)のみが人の真の価値と真の幸福の両方を決める。そして徳(アレテー)の持続的な活動がなければ人は幸福ではない。と考えたアリストテレス。上巻では幸福とは何かを定義し、勇気と節制、正義、また気前の良さ、志の高さなど、人柄の徳(アレテー)について考察する。若者が自分の人生を考え抜くための書物、倫理学史上もっとも重要な古典です。


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