ニコマコス倫理学(下)

2025年12月24日

2025年12月24日

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概要

ニコマコス倫理学は、アリストテレスの倫理学講義に関する記録をまとめたものです。ニコマコス倫理学は全10巻で構成されており、前半では、アリストテレスが考える善と人柄の徳について、後半では、知的な徳と友愛について論じられます。このうち、ニコマコス倫理学(下)では、後半部分に当たる第6巻から第10巻までがまとめられています。

第6巻では、知的な徳を取り上げ、様々な知的能力を区別します。例えば、テクネー(技術)は制作に関わる能力であり、エピステーメー(学問的知識)は必然的なものを証明するための能力です。彼はさらにいくつかの知的能力を列挙しますが、その中でもフロネーシス(思慮深さ)は適切な行為を判断し、理性を使ってそれを実践する能力を指し、幸福を実現するために不可欠な要素であると指摘します。

第7巻では、抑制のなさの問題を検討します。人間は、何が善いかを知りながら、欲望に負けて悪いことをしてしまうことがあります。彼はこれを抑制のなさと定義し、強い欲望が原因で獲得された知識が使用されなくなることによって生じると考えます。しかし、完全な徳を持つ人は正しい欲望を持つため、抑制のある人(欲望と戦いながらも正しいことをする人)であると論じます。

第8〜9巻では、愛(フィリア)を詳細に論じます。彼は愛を、有用性に基づく愛、快楽に基づく愛、徳に基づく愛の3種類に分類し、完全な愛は徳に基づく愛であると述べます。なぜなら、徳に基づく愛は本質的に互いに善いものであり、互いに有用であり、互いに快楽を与え合うからです。同時に彼は、善き人が少ないため、徳に基づく愛が生まれるのは稀であるとも指摘します。

さらに、善き人は善き自己愛を持っており、金銭などを自分に多く配分する悪しき自己愛とは異なり、真に自分自身を愛していると彼は考えます。この善き自己愛が共通の徳と異なる経験に結びつくことで、徳に基づく愛における友人がもう一人の自分として存在し、真の愛が生まれます。

第10巻では、有名な快楽論である快楽主義と禁欲主義を批判し、アリストテレス独自の快楽論を完成させます。

快楽主義者であるエウドクソスは、全ての生き物が快楽を求めるため、快楽が最高善であると主張します。これに対し、アリストテレスは、一部の快楽が善であることを認めつつ、全ての快楽が善ではないと論じます。また、禁欲主義者であるスペウシッポスは、快楽は悪であるとし、苦痛の反対は快楽ではなく、苦痛のない状態であると主張します。これに対し、アリストテレスは、私たちが積極的に快楽を追求している事実から、この主張は人間の自然本性に反すると指摘します。

これらの議論を踏まえ、アリストテレスは、快楽は活動の完成であると定義します。すなわち、快楽は活動と分離できないものであり、快楽は活動をより良く、より持続的にするものであると考えます。そして、快楽の種類は活動に応じて異なるため、快楽主義や禁欲主義のように快楽一般の善悪を決めることはできないと説明します。

最後に彼は、幸福な生活を2種類取り上げます。観想的生活と実践的生活です。観想的生活は知性による活動であり、幸福な生活として最高のものです。そして、観想的生活が最高の幸福である理由として、「最も持続的であり、最も快く、最も自足的であり、それ自体が目的であり、余暇において行われ、神的な活動に最も近い」という6つの特徴を提示します。

実践的生活は徳に基づく活動であり、政治的・社会的な善の実現です。実践的生活では、勇気、正義、節制、気前良さなどの徳を発揮する活動が行われますが、最も純粋な理性的活動ではないため、最高の幸福ではなく二次的な幸福であると述べます。

感想

ニコマコス倫理学の後半部では、いくつかの概念をより詳細に区別し、概念同士の関係性を探る議論が頻繁に行われました。例えば、第7巻では知識と欲望を区別し、「何が正しいかを知っている」ことと「実際にそれを欲し、実行する」ことは別の能力であると述べています。第10巻では、快楽が活動に付随するものであり、活動そのものではないことが明確に示されています。快楽が目的になってしまえば、苦痛を避けることが正当化されてしまう恐れがあったため、この区別は彼の快楽論を完成させるために非常に重要であったと言えます。

第6巻で思慮深さについて論じた後に、第10巻で純粋な理性的活動について論じた理由は、人間関係において理性(ロゴス)の届く範囲を認識していたからだと思います。幸福になるために思慮深さが必要だと語ったのも、社会において純粋な理性的判断が問題を引き起こすことがあったからでしょう。なぜなら、社会では他人を理性的に説得できるとは限らないし、状況を論理的に制御できないからです。一方で、観想的生活であればそうした人間関係の複雑さから離れることができます。彼はこの長所を「神的」という言葉で表現しています。安定した幸福は、複雑な人間関係に起因する不確実性から解放されることで得られるのかもしれません。

ニコマコス倫理学(下)

なぜ欲望に負けてしまうのか。役に立つ、楽しい人だからと愛するのは、愛なのか。快楽を追究するのは悪いことなのか。下巻では、行為と思慮深さの関係、意志の弱さにかんする哲学的難問、人生における愛と友人の意義、そして快楽の幸福への貢献についてアリストテレスは根源的に考え抜きました。現代的な意味をもつ究極の「幸福論」。


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