技術は「手段」だけではない

2025年1月5日

2025年1月5日

初めに

「技術は手段である」 —— この言葉は、多くのIT企業やエンジニア組織でよく耳にします。私は就活中に、様々な現役エンジニアとの対話を通じてこの言葉に繰り返し出会い、そのたびに違和感を覚えました。この違和感の正体を探りながら、技術との向き合い方について考察します。

「技術は手段である」と言いたい人の気持ち

まずは、「技術は手段である」という言葉を使う人の気持ちを考えます。私は、この言葉の背後には2つの意図があると思います。

1つ目は、技術投資の正当性の保証です。関係者に対して、「目的達成のために〇〇という技術を習得する必要がある」という説明をすることで、経営判断における妥当性を主張できます。あらゆることを「経営者目線」で考えるべき立場になると、経営指標を無視できなくなり、常に経営と技術の結びつきを意識せざるを得なくなります。

2つ目は、技術選択の合理性の確保です。ここでの「合理性」とは、チームのスキルセットとの相性を考えて学習コストを最小化できたり、実績がある技術を選択して予測可能な結果を得られる性質を指します。市場のシェアを確保するには、できる限り早くサービスやプロダクトをリリースする必要があります。この概念に基づいた考え方がMVP (Minimum Viable Product: 実用最小限の製品) です。MVPのリリースを迫られることで、すぐに高い生産性を出せる技術を選ぶ「合理性」が生まれます。

もちろん、サービスやプロダクトを成長させるためには、「技術投資の正当性」や「技術選択の合理性」を分析し、その結果を踏まえて適切に判断する必要があります。 しかし、「正当性」や「合理性」などの価値を説明しにくい技術の場合はどうでしょうか?

価値を説明しにくい技術

例えば、技術の習得に熱心なエンジニアは、業務で使用していない新しい技術に純粋な興味を抱くことがあります。その技術が将来どのような価値を生むのかを具体的に説明することは難しいですが、学習過程で得られる新しい視点や考え方は、意外な形で仕事の生産性を高める可能性があります。一方で、同じエンジニアでも習得するだけのモチベーションが湧かない技術もあります。このときに、技術が単なる手段であるという考え方では、エンジニアのモチベーションは下がり続けるでしょう。

別の例として、ある企業は20年間にわたってJavaでシステム開発を行ってきました。この企業は新たに長期計画を立て、データ分析に注力することになりました。本来であればデータ分析と相性がいいPythonやRの学習を全社的に支援するべきですが、あなたが経営者や役員であった場合、この転換点ともいうべき重大な判断ができますか?

これらの例は、「技術は時にその価値が曖昧になる」ことを示しています。このような「曖昧な技術」を扱うためには、「技術は手段である」という捉え方を見直す必要があります。なぜなら、これらの例は「技術は手段である」という格言だけでは説明できないからです。

技術は触媒である

技術を手段として捉えると、必然的にその手段が自社の経営にどのように寄与するのかを説明しなければならなくなります。 そうなれば、短期的あるいは長期的に得られる利益を説明しやすい技術が先行し、本当の意味での技術投資や技術選択が行われなくなります。

私は、技術は人や組織の志向性を変えるものだと思います。ソフトウェアアーキテクチャが組織構造を変化させるように、あるいは、開発プロセスが品質に対する意識を変化させるように、それらを含有する「技術」という大きな概念が人や組織の意識を変化させます。

もし私が、「技術とは何か?」と問われたら、「技術は触媒である」と主張します。技術は、触媒のように人や組織を変化させる存在なのです。この視点に立てば、技術投資や技術選択を、単なる手段としてではなく、組織を変革する重要な要素として捉えることができます。


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